[June 20, 2006]
サム・クックとモハメッド・アリのヴィデオ
ヴィデオのFlickrみたいなサイト「You Tube」でサム・クックとモハメッド・アリのヴィデオを発見。
検索すると掘り出しものがぞくぞく。
サム・クックメロディを歌うsupremes なんてのもあった。いやいや、これは楽しい。
About Sam Cooke
サム・クックは2才の時に一家でイリノイ州シカゴに移住。父親チャールズ・S・クック・シニアは現地では教会を持つバプティスト派の有名な牧師。
母親はアニー・メイ・クック。10才になる頃には父親の教会で兄弟のチャールズ・ジュニアや姉妹のメアリーやハッテーと一緒にシンキング・チルドレンという聖歌隊でゴスペルを歌っていた。
ハイスクール時代に、“ハイウエイ・バプティスト・チャーチ”別名ハイウエイ・QCズを結成し本格的に歌手活動を開始した。
Timeline
■1953年(22才)
R・Hハリスにかわって、有名なゴスペルグループ"ソウル・スティアラーズ"のリード・シンガーとして迎えられる。
当時18歳のクックは、ゴスペルに若さに満ちた甘くセクシーな歌声を持ちこみ、偉大なシンガーR・Hハリスを上回る人気を獲得し、ゴスペル界最初のティーンアイドルとなる。
■1954年(23才)
自作のゴスペルナンバー『JESUS GAVE ME WATER』を発表。典型的な男性ゴスペルのザラついたシャウトの代わりに、クックは控えめな表現を用いてサテンのような艶やかな中音域と自然のビブラートを強調した歌声で勝負した。
クックも決してシャウトしないわけではなかったが仲間のヴォーカリストの提言もあって、2つの音色を巧みに使い分け、幅広い感情表現を駆使することを選択した。
■1956年(25才)
この年の秋、デイル・クックと言う変名でレコードを出す。ポピュラー歌手として『Lovable』、『Forever』2曲を発表。
■1957年(26才)
ロスに新設されたマイナー・レーベル“キーン(KEEN)”に移り、本格的にポピュラー歌手として活動を開始。
同年秋、『YOU SEND ME』を発表。R&B、ポップチャートともに第1位という予想外のミリオンセラーとなる。
■1958年(27才)
ビルグリム・トラヴェラーズのJ・Wアレクサンダーと共同でメジャーな黒人アーティストの経営する最初の出版社カグス音楽出版社を設立。
2年後には子会社としてSARレコード(ソウルを専門とする最初のレコード会社)を設立。クックはソウル・プロデューサーのパイオニアとして活躍、
ここからクックがプロデュースするR&Bアーティストが生まれた。ジョニーモリセット、ジョニー・テイラー、ヴァレンティーノズ、ビリー・プレストン、メル・カーターラである。
■1959年(28才)
RCAに移籍。数々のヒット曲を残す。
(1957年
から1965年までの間、ポップ・チャート40入りヒットが30曲、R&Bチャート入りヒット曲が31曲)
■1964年(33才)"Lady, you shot me."
ロスアンジュルスのサウス・セントラルの安モーテル“ハシェンダ”で、支配人の白人の中年女性バーサ・リー・フランクリンに射殺される。(あと1ケ月で34才だった)
真偽のほどは明らかでないが、レストランで誘ったユーラシア系の混血女性、エリサ・ボイヤーという女性をモーテルに同伴しチェックイン。
サムがシャワーを浴びている間に部屋から逃げた女性を追ってフロントに現れたサムを、モーテルの支配人バーサ・リー・フランクリンは護身用の銃で3発撃ち、内1発が胸を貫通。
サムは"Lady, you shot me." という言葉を残し死亡。
クックの死からちょうど2ケ月後、親しい友人であったマルカムXが暗殺された。クックは成功してからも、自分自身の資金と時間を費やして仲間の黒人の所へ立ち戻り、他の若い黒人にチャンスを与え、自分が得たものを分け合おうとして行動していた。この年アメリカの黒人は2人の若く行動力あふれるリーダーを失った。
by Harada Hiroki : 11:28 PM
・Comments (2)
・Trackbacks(1)